先日、私が日頃から大変尊敬している大前研一さんのセミナーに参加してきました。
大前さんは私に色々なことを教えてくれる方ですから、私自身の生き方も彼の考え方にずいぶん影響されているように思います。
特に、もっとも影響を受けたものは、自分が日本という国にあまりにも信用を置き過ぎていた、ということに気がつかせてくれた、ということです。そのきっかけは未曾有の災害と言われ続けているサンイチイチ。あれをきっかけに、日本政府への不信感が募り、質問を投げかけてみることによって、ずいぶんと本当の事実が見えてきたように思います。
私も含めて日本人はとにかく質問をしない民族です。授業中でも、セミナー終了後でも、たいていは講師や先生が、何か質問はありませんか?と尋ねます。ところが質問はまずもって出ません。手を上げようものなら、好奇の目が一斉にその人に集中します。それが恥ずかしい、といって質問しない人もいるぐらいです。
でも、海外で、たとえば留学したり、仕事で海外に赴任した人ならご存知だと思いますが、外国人はとにかく質問します。わからない時は率直に聞きます。この違いはいったい何でしょう。
日本人が質問しない理由のひとつ、これは明治時代にさかのぼります。明治維新以降は、ご存じのように日本は欧米に追いつくことが目標でした。そして欧米のモノをとにかく真似したのです。今の韓国や中国は日本の真似ばかりする、と言って批判する日本人もいますが、実は100年前の日本も同じようなことををやっていたのです。
そして先生が黒板に書くことをそのままノートに写し暗記。ですから教科書の内容を疑うことなく、そのまま暗記し記憶する。それが良い生徒の証、ということになりました。
欧米は真逆です。先生は生徒に質問をすること奨励します。
一度アメリカの高校の歴史の授業に触れることがありました。その時に、日本とはずいぶん違うな、と思ったのは、ある日に出た歴史の宿題でした。それは、「なぜアメリカは南北戦争を行ったのか?その理由を自分なりに考えてきなさい。」というものでした。この宿題は、当時の南北の経済的背景や、奴隷制の問題、またフランスとアメリカの関係や、各州の政治的違いなどについても知らなければ回答することができません。また先生は画一的な答えを期待してはいませんでした。間違っていても自分なりの考えをまとめて発表する、そのプロセスの大切さを気付かせる宿題でもありました。
この南北戦争の頃は、日本ではちょうど桜田門外の変が起きた時です。ですからさしづめ、「桜田門外の変で、なぜ暗殺者は井伊直弼を殺そうと思ったのでしょうか?その理由を自分なりに考えて発表してください。」ということになるでしょうか? 今の日本の中学校でこんな宿題を出す学校があるでしょうか?
これがそのまま質問する力の違いになってきているような気がしてなりません。
つまり小さな時から欧米では、なぜ?どうして?その原因は?ということを事象、現象から追及する癖がついているのに対して、日本人にはそれがありません。日本では歴史的事実の起こった年代、年号、起こした人の名前や殺された人の名前などを覚えておしまいです。
私も中高生の時の自分の日本史、世界史の勉強を振り返ると(うん十年前ですが)ほとんどすべて暗記していたように思います。なぜこれが起こったのか?それによってどういう影響が出たか?というようなことはまったく勉強しませんでした。今から考えると、本当にバカだったと思います。歴史を暗記項目に数えていたなんて。
教室では、なぜ水戸、薩摩藩の脱藩浪士は井伊直弼を暗殺しようと思ったのですか?という質問に正確に答えることができる教師がいったい何人いるのか疑問です。水戸、薩摩藩が暗殺を企てるに至った経緯は非常に複雑で、そこまでには、色々な人間の思惑が絡み合い、人々の気持ちが揺れ動いていったのです。これらを、単に桜田門外の変-井伊直弼暗殺と片づけてしまうのが、今の日本人です。そして内容よりとにかく受験に出るか出ないかで、史実の重要性に違いが出ていきます。
鎌倉幕府成立は重要だけれど、豊臣秀吉の全国統一の年号は覚える必要なし、とかね。
また、普段の生活においても、この人の言っていることは、本当にそうなのか?これは事実と合致しているのか?という観点から、ニュースを見たり、相手と話したりすると、今まで何げなく受け止めていた様々なことは、実はたいていのものの中にウソや間違いがある、ということがわかってきました。その数たるや、驚くべきものがあります。
さて、前述した大前さんのセミナー終了後、私は自分の質問する力を鍛えるべく、さっそく質問してみました。日本の小中学校の授業はとにかく100年前の寺小屋とまったく変わらずです。それも含めて今の義務教育にはとても多くの疑問があり、できれば子供を義務教育からなるべく離れたところで育てたい、と思っているほどなのですが、次の世代の日本人を育てる上で、今私たち大人がしなくてはならないことは何だとお考えですか?
彼の答えは期待をはるかに上回るものだったのですが、それは同時に家庭での子供たちへの大人の接し方を大幅に変えていくことを示唆した言葉でした。
これからの子供たちがつけなればいけない本当の力とは、読み書きができるとか、算数の公式をきちんと覚えているとか、歴史の年号を暗記しているとか、そういうことではありません。また入るのが難関の有名大学に入っただけでは意味がなく、その先の夢の実現に対して、そこに行く必要が本当にあるか、ないかで判断されるべきものです。
これからの日本は、経済的には衰退していくため、今の子供たちは同じ日本人と共存するのではなく、おのずから他国の人達との競争、共存を余儀なくされます。そのためにはどんな力が必要か?というふうに考えていくと、色々な答えが出てくることに気が付きます。すると、今の日本の文科省の教育のしくみではどうしても無理がある、ということがよく理解できると思います。
では、どうしたらいいのか?それは自分の、質問する力を最大限に発揮し、自分なりの答えを導き出さなくてはいけません。その答えを出すプロセスによって、自分の洞察力と生き抜く力は飛躍的に向上することは間違いないでしょう。
本日のサラダ 小松菜、大根、春菊をざく切りにし、その上からひまわりの種と
パセリのみじん切りをかけます。ドレッシングは宮古島の雪塩でシンプルに。
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